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嵯峨

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作品名 作品名
敷地 敷地
用途  
規模  
面積  
掲載誌 雑誌 1111.11
   
協力  

撮影:松村芳治


ポスト数寄屋を唱え始めた頃

僕が建築設計技術者の卵として、建築家竹腰健造先生の元へ弟子入りした。松下電器、松下電工の巨大工場、地方工場の設計を担当したのだが、次々に竣工、その度に現地へ連れて行かれて竣工式に出席した。すると毎回、構内の方位の一番いいところに社が建つのだ。いったいだれが設計して工事をする僕の設計図の中にはないのだが、と不思議に思っていた。

事務所を独立して「ポスト数寄屋」を唱え始めた頃、女流建築家の佐々木恵子さんから電話が入った。「わたしは和の建築まったくダメ。山本さん助けて。」

佐々木女史の同行で、永田夫妻が来られた。 まさか松下グループのお社をこの方が納められていたとは!。

「山本さんの設計された岡崎の家と清水の家を見て来ました。イメージが合いそうなのでお願いしたい。」社造りの大工作業場、神器、神具、大きな社の実物展示のプレゼンテーションルームと住まいを1棟にして建てたいという希望だった。

設計者冥利に尽きる。なぜならば、建物ができる前に「社造り」の専門家。家を完成させる前から縁起の良い「社」がある。しかも、僕の仕事を見てお越しになった。なんともいい話だった。

神器、神宮、社造りの家だ。何より家相が大切である。良い家相あってこその社造りともいえるだろう。それに不浄であってはならないし、足元が弱い等はもってのほか、何事にも安定、安心でなければならない。

敷地図面とたった一回の打ち合わせ、僕のような建築家に任せっぱなし。度胸が良い人なのか、腹が据わっていらっしゃるのか。そうか、神様がついていらっしゃるのか。 神さんがいらっしゃるなら心配事なし。しかも僕の作風も十分ご存じ。 よし、思い切っていい家を設計しよう、と張り切ったことを思い出す。

なんとも素晴らしい土地であった。理想的とはこんなことを言うのかもしれない。この土地を生かすことが出来なかったら、建築家やめろ、の地形である。

敷地は2つの前面道路に接しているが、南側は大阪市内を繋ぐ幹線の大通り、敷地の北側は大通りより4m下で幅員5mの道がある。二つの道に面していた。

当然、大通り側は店の顔を作る。北側の下の道、材木の搬入、製品の搬出、当然大工作業場を近くに造る。見事機能上の問題は一気に解決である。となれば、この建物、建築家としてどう楽しむかである。

宮匠永田神器はすでに名前の通った老舗、看板は必要ない。それよりも、お店の特徴を表すものを何か造りたい。そこで施主にお願いした。看板代わりになるモニュメントを造ってほしいと。

当時はアトリエはシルクスクリーンの製作に凝っていた。 家を設計するたびに、その家の特徴的なデザインをシルクスクリーンの画面に収めていった。

こんなイメージのものを造ってみたい。まさしく絵である。図面をちょっと書くとそれを絵に落とす。いいぞ、これはいける、の連続である。それで出来上がったのが大通り側の全てのデザインである。

北側の下の道から、1階、2階まで鉄筋コンクリート。先に考え付いた足元を堅牢に固める。その中はすべて事業の為の空間に。その上に居住部を乗せる。その住居部には下の階のプレゼンテーション部の上に庭園を造る。居住部はいまでこそ、盛んになったガーデンハウスの実現。庭を愛でながらの沐浴、極端に言えば、素っ裸のままでビールを楽しむ。いい松の木が2本入った。何も思い残すことはない。

竣工から20年たった昨年、回収とちょっと増築がしたいとのことで久しぶりに訪ねた。

「近頃あまり良く眠れない、早く目が覚めてあきません。」

「なんで?」

「音でっしゃろか。」

「何の音?」

「空調機のような気がします。」

「それはあかん、設計時の計画ミスです。」

「永田さん、居住部全面改修しましょう。眠り易い家にしましょう。」

15年程前から絵を描いているとのこと。見せていただくと実に上手い。 かつての寝室だった部屋でやや南画に近い本格的な絵を描いている。

「庭を少々撤去してアトリエを造りましょうか。」

「よろしいなあ。」

で、本館に差し込んだアトリエを提案。ついでに庭を全部撤去してボードテラスに変更。

可愛いお孫さんの遊び場。永田さんは絵を描きながらお孫さんとも遊ぶ。

「山本さん、よう眠れますわ。」明るいところで絵も描けてゆうことなしです。

20数年経って、やっと永田神器、完成。

そしてこの増改築は僕が久しぶりに肝入りで育ててみたいと思った建築家の卵の角谷梓が担当した。この仕事を成し遂げ、お蔭様で一本立ちとなった。今は建築家の彼のところへ嫁に行った。成功してくれることを望みたい。

 
 

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