山本良介アトリエ+関谷虹

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嵯峨

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作品名 西宮神社 宮司邸 「伝承・つなぎの家」
敷地 兵庫県西宮市
用途 社寺住宅
規模 木造+RC 地下一階 地上二階
面積 延床331.72㎡
掲載誌 住宅特集 1998.02
   
協力 施工:竹田工務店、新井組

撮影:松村芳治


1995年1月17日未曾有の大震災が起こった。僕の住む大阪千里の集合住宅も、この世がぶっ壊れるのかと思う程揺れに揺れた

翌日の新聞には、西宮神社周辺の高速道路が何百mにも渡って倒壊したと報道されていた。

さらにその翌日から、建築学会の要請で灘に向かった。弁当を持って、線路が遮断された尼崎から先は線路上を歩き、ようやく灘に着いた。高度な技術力を誇る日本の土木も太刀打ちできず、見る影も無く倒壊した高速道路を目の当たりにした。この世の景色とは思えなかった。

住宅の被害レベルの応急危険度判定を行っている最中に、西宮神社の宮司から一報が届いた。

「社家が今にも壊れます。すぐに見てほしい。」

怪我人はなく、家族はみな無事とのことだった。その日のうちになんとか駆けつけると、本殿はぺしゃんこ、境内の灯篭は全てなぎ倒されていた。

本殿の東にある宮司の住む社家は、柱が折れ、壁は下地がむき出しになって、どうにもならないほど傾いていた。さらに、屋根瓦はほとんど全部飛び散ってしまって、何も残っていない。

「山本さんどうしよう。助けてください。崩壊すれば住むところがない。」

他に術は無い。まずは補強しなければということで、つながりにくい電話を根気よくかけ続け、日頃付合いのある京都の工務店に筋交い60本、柱30本、構造用合板50枚を用意して西宮まですぐに来てほしいと頼み込んだ。船を使って材料を搬入し、応急処置を行った。

ようやく歩きやすくなったJRの線路を伝って、何度も西宮神社に足を運んだ。修復するか、建替えるべきか、比較的早い段階から話し合いが持たれた。傾いた家の中で宮司さんと奥さんからお話を聞いていると、突然パッと埃が立ち、今にも崩れるのではと思うくらい揺れた。

なんとかこの建物を再生できないものかと念入りに調べたが、余震の度に地盤から基礎束石が浮き上がり、全体を持ち上げたいが、柱も梁も折れていてジャッキアップが効かない。修復は断念せざるを得ず、再建の方向へ進むことになった

設計図が完成するまでの2ヶ月間は、この倒壊寸前の家屋をなんとか保ってほしいと願った。その間に家財や神社の歴史古文書を運び出し、仮設建物に保管しながら、新しくできる家に持ち込むものを整理してもらうことにした。


宮司宅(社家)は神社と密接に結びついており、諸行事に際して自宅に氏子代表等の関係者を招き、度々会議を行う。そのためのサロンと祭事を行う部屋を中心として、賄いのしやすい台所、客用便所等を配置しなければならない。そして、正門から玄関先は社家の顔として何より重要である。大地震を経て木造建築が敬遠された時であったが、社家らしい建築の姿と耐震設計の両立に心を砕いた。

鉄筋コンクリート壁を有効に配置し、木材の表装を痛めないという和建築の伝統に従って、金物を見せずに柱と横架材等を緊結した。また、戸袋をバットレスのように構造補強に用いるディテール等を考え出した。

このような技法はいずれも、磨き抜かれた職人の技があってこそ成立したもので、この家は、伝統建築を新しい時代に繋ぐ役割を果たすものとして「伝承・つなぎの家」と名付けた。

 

 
 

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