山本良介アトリエ+関谷虹

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唯松の館

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作品名 唯松の館 K邸
敷地 兵庫県神戸市
用途 個人住宅
規模 木造地上一階
面積 延床㎡
掲載誌 住宅建築 2005.08
   
協力 施工:竹田工務店、新井組、柿久保工務店

撮影:松村芳治


阪神淡路大震災発生後1ヶ月半が経とうとしていたが、復興の兆しはまだ見えなかった。

内部があらわになった無残な姿の家々はまるで舞台装置のように感じられた。電柱が倒れ、電線は垂れ下がったままで、資材を運ぶのも難しい状況の頃、地元の中堅請負業者から連絡があった。遠藤新さんが設計をした大きなお屋敷が崩壊寸前だという。

その屋敷の大奥様は、聞くところによると普段はとても物静かな方だというが、心労が重なったためかずいぶん多弁になっておられた。

「早く建替えて。再生など考えなくても良い。もういやや。」

 

既に他界されていたご主人が、生前かなりの肝煎りで建てられた屋敷が哀れにも真っ二つに割れていた。家の真下を活断層が通っていたことがわかる。それでも地盤はだんだん落ち着いてきて、幅1mあった亀裂は50cmほどに縮んでいたが、高さ70cmの落差が生じていた。活断層のすさまじさを目の当たりにしてしばらく呆然とした。

大奥様に、遠藤新さんに負けない家を造りましょうと申し上げた。どんな家を建ててみたいか尋ねると、「わたしの家は元銀行で、豊臣政権の頃から続いています。山本さんは京都の建築家ですから、超数寄屋建築を建てて下さい。2階建ての洋風建築はもう懲り懲り。とにかく平屋建てがいい。早く設計して、早く着工して、一日も早く住みたい。」


3案のイメージスケッチを描いて日参し、1案に絞られた。

かなり大きな家の計画であるが、座敷は小さい。台所はホテルオークラから料理長が来て料理を作る時がある。財界との接触も多く、また大奥様は薙刀の名手で、兵庫県下の理事長も勤める方でもある。こんな話を聞けば聞くほど、どんどん家が成長していく

しかしながら震災後、世の中がどう変化していくかわからない。半分は実現しよう。それでも十分大きな建物になってしまう。

 

大奥様はお会いするたびに心が落ち着いてこられたようで一安心した。急ぎながら、ゆっくり、深く設計を開始した。

解体前に照明器具、ステンドグラス、家具調度、ピアノ、階段の手摺、欄干、庭の延石等を運び出し、それぞれの専門家に預けて修復した。

洋風建築は懲り懲りとのことであったが、それでもやはり建築家遠藤新さんに敬意を払い、母屋の玄関側は旧建築のイメージで、奥へ進むに従って、今となっては僕の得意分野となっている数寄屋建築に変化するように考えた。

そのつながりに神経を集中し、洋と和の渾然一体となった建物と環境を作り出すことに苦心した。


当初案の中には茶室を計画していた。豊臣秀吉が借金の形に取り上げたという茶室を復元しようという提案であった。しかし、大奥様はこの震災で足腰を弱らされ、もうお茶をいただくことは無理とおっしゃったため、お茶室は造らないことになった。

それでも「やっぱり、造っといたら良かったね。」と。

「山本さんありがとう。すぐには出来んかったね。けど、思い通りの家ができた。亡くなった主人もたぶん喜んでいると思う。」

京都へ修理に出していたお仏壇をきっちりと納めて竣工になった。

生涯2つとない平屋建築を設計させてもらうことができた。


 

 
 

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